数学的真理を自分のことだと感じるパラノイア

数学的真理を他人と共有できるというのは考えてみれば不思議なことだ。もちろん、ヒトの思考パターンのうち共有可能な部分が(発見されて定式化されると)数学になるのだとも言える。*1

さて、次のような感覚を持つ人はいるだろうか:数学的真理が自分の心のあり様そのものだと感じ、自分以外の人間が数学をすることは即ち自分の心の内が詮索されることだと捉える感覚。このように感じる人にとって、この世はおそろしく奇妙な場所だろう。自分の生まれる遥か以前から、自分のことが研究されてきた。学校で「数学」という科目で教えられていることは、自分の極めてプライベートな事柄である。他人の心の内を覗くことはできないのに、自分の心の内はなぜか全世界に(時空を超えて)筒抜けである。

彼は公理に近いレベルの議論ほど“恥ずかしい”と感じる、かもしれない。中間値の定理をデデキントの切断から厳密に証明するような議論が彼には耐えられない。「確かに、俺の心はそのようになってはいるけど、わざわざ詳細に指摘しなくたっていいじゃないか!まして、そんなことに名前を付けたりしないでおくれよ!」と。

そんなことはないのか。


メモ:

  • 多様体愛護協会の気持ちはここで述べたこととは対称的。数学的対象が人類の外側に実在していて、しかもそれらが「生きている」と思う気持ち。

*1:ただ、そう言ってみたところで議論は前進しない。この種の問題について実りのある議論をするのはとても難しい。

ドラえもんの折り紙


折り紙でつくったドラえもん。1998年頃の創作。

折り図も書いた:

折り図の作成は創作以上に根気のいる作業だった。当時はこれをプリントしていろんな人に配っていた(が、今となってはちょっと恥ずかしい)。





追記:
この記事を読んで折り紙に興味を持った人に向けて、私のおすすめの本をいくつか挙げておきます。

本格折り紙―入門から上級まで

本格折り紙―入門から上級まで

  • 作者:前川 淳
  • 発売日: 2007/07/01
  • メディア: 単行本
バラと折り紙と数学と

バラと折り紙と数学と

ホワイトボードを買った

こんな感じにしならせて設置するとよい

Light Write Boardというホワイトボードを買った。発泡ウレタンの板にホワイトボードの表面加工を施しただけの極めてシンプルなものだ。枠も脚も付いていない。壁に立てかけて使う。

180㎝×90cmというたっぷりとした大きさがとてもうれしい。自分の身体前方にある壁が、頭からつま先まで全部ホワイトボードになる。欠点は、ペンやイレイサーの筆圧によってボードがしなってしまうこと。書くときはそれほど困らないが、消すときにはある程度の圧力が必要になるのでイレイサーを持たない方の手でボードを支えてやる必要がある。ただし、この欠点はボードの設置方法を工夫することで解消できた。ボードを手前が出っ張るように強く湾曲させた状態で、引き戸の枠などに上下挟さまれる形にして押し込むとよい。こうするとペンやイレイサーを押し付けたときに充分な反発力が得られ、安定感がでる。

今日はこのホワイトボードを使って数学の勉強をした。机に向かってやる普段の勉強よりも遥かに集中できたことに驚いた。立ちながら、大きな絵を描きながら、ということが思考を滑らかにしているような気がした。

もう一枚欲しくなってきた。